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東奥義塾の精神

今こそ義塾スピリットを

東奥義塾の精神

人はなぜ「教育」を受けるのでしょうか。あるいは、なぜ「学ぶこと」を望むのでしょうか。この問には十人十色の答えが返ってくるはずです。しかし、最大公約数的にいえば、人の心を理解するため、社会の仕組みを知るため、そして、それぞれに生き方の哲学を培うために勉学するといえるでしょう。
本校は青森県で最も古く、明治5年(1872)に開校し、2011年で創立139年を迎えますが、校訓の「敬神愛人」を建学の精神とするキリスト教主義教育を基本としてきました。それは「愛に代えられない知識は空しい」という17世紀のフランスの思想家・神学者ボスュエの言葉と同様の理念でもあります。
草創期に着任したジョン・イング先生は、英語、理科、化学、数学、生物、歴史を教え、岩木山の高度の測量法や鉱物採集実習、あるいは米国からトマト、アスパラガス、レタス、キャベツ、グスベリなど各種野菜や果樹の種子、苗木を輸入し移植しました。特に注目されるのは、風土を理解し、リンゴを初めて弘前にもたらしたことです。
これなどは、今でいう「文理融合」や、実学も教養も含めた「全人教育」の実現であり、いかに上質な教育が行われていたかを窺い知ることができます。事実、その熱誠あふれる教えは、封建制度の崩壊で絶望的になっていた津軽の少年士族の心を奮い立たせたといわれています。
また、昭和2年(1927)には、「現代に背徳偽善の徒多きをいきどおり、自己の聖化、日本の聖化、世界の聖化を高唱する」として、生徒の自主活動である「東奥聖社」が結成されていますが、これは厳格な規律によって信仰復興を巻き起こしたメソジストの指導者ウエスレーが、オックスフォード大学に創設したホーリー・クラブに由来しています。
その後、終戦後の荒廃にも、あるいは倫理観・道徳観が欠落し、さまざまな形で噴出している現代の病根にも、本校はキリスト教主義をベースとする理想の教育をもって立ち向かってきました。それは生きとし生けるものに対する愛であり、無私に貫かれたボランティア精神でもあります。
ボランティアとは、ラテン語のボランタスを語源とし、自由意志(自発性)で行動する人、奉仕者などと訳されますが、歴史的にみれば、まずは中世における教会や寺院の宗教的慈善活動が起源でした。それは難しいものではなく、転んでいる子供を抱き起こすというような、人間の根源にある心情の発露とでもいうべきものでした。

Do for others what you want them to do for you.

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」
これは新約聖書の言葉ですが、「敬神愛人」を校訓とする義塾スピリットに通底するものでもあります。


「敬神愛人」

東奥義塾建学の精神ともいえる校訓で、義塾が掲げる伝統を受け継ぎ人間性を育む教育の礎となっています。
この校訓のいわれには、「あなたは、年が若いために人に軽じられてはならない。むしろ言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」(テモテへの第二の手紙)という聖句があります。
塾生は常に時代が求める聖徒として、社会の模範となるようにと教えられます。